いじめゼロを目指して

居場所もない

私のいじめはある日突然始まりました。机の落書きから始まって、筆箱の中身が無くなったり壊されていたり、私の持ち物は一つずつ壊れたり無くなったり

していきます。教科書が無くなった時は先生に申告して買い直しましたが、その次の日には無くなっています。体操服がインクで真っ黒になったときは洗っ

ても洗っても落ちなかったのでそのまま着用していたらクラスメイトからは笑われ、移動中すれ違う生徒からは指を刺され、先生からは叱られました。
母にそれを発見された際に新しいものを買うと言ってくれましたが、どうせまたすぐに汚されるのだろうと思うと母に申し訳なく、「体操服は高いし」と説

得してそれを着続けました。その汚れは徐々に薄れていきましたが、消える事はありませんでした。
最後の体育の授業が終わり、着替えを済ませた後にその体操服を学校のゴミ箱へ詰め込んで捨てましたが、運悪く主犯の人が発見したらしくわざわざ先生へ

と報告し、私は散々に怒られました。その後職員室を出るといじめっこのグループが下駄箱で待ち構えています。そそくさと立ち去ろうとすると、わざとら

しく私の名前を呼びます。それを無視すると思いつく限りの罵詈雑言が背中に浴びせられます。私は心をオフにして歩きを早めました。
その報復か、翌日教室に到着すると私の引き出しの中には水浸しの雑巾がたくさん詰まっていて、その周りの床もびしょ濡れです。ある程度予測していたの

でバケツを持って来て片付けると、雑巾を除けた引き出しの奥には卒業式で使用するために製作しなければならなかった紙細工の花が水に濡れて固まってい

ました。その残骸を捨てているとどこからか声が聞こえました。「あんたは仲間なんかじゃないから花作んなくていいよ!」
卒業式は一週間後でした。その言葉はどんな罵詈雑言より心を刺します。仲間だなんてとうに思ってはいませんでしたが、三年間耐えてきた私は卒業式にす

ら出させて貰えないと知ると、悔しさと自分の情けなさにどうしようもなく涙があふれてきます。ですが最後の意地として他人の前では泣かない様にしてい

た私は咄嗟に教室を飛び出し、教室から一番遠いトイレに駆け込んで誰も居ないのに声を殺して泣きました。
何故涙が出るのかは自分でもわかりませんでしたがそこで暫く泣いていたと思います。昼休み開始のチャイムが聞こえ、ふと我に返りました。卒業式前とい

う事で授業は無く、思い出作りの時間ばかりだったので行かなくても良かったのですが、午後の授業が始まって体育館から聞こえる卒業式の練習中の皆の声

はとても気だるそうだけれど、楽しそうだとトイレの個室の中でぼうっと考えていました。


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