いじめゼロを目指して

いじめられてる子を励ましてくれる人へ

学生時代に私が受けたいじめは、大したものじゃ無かったかもしれません。無視から始まって、物を壊されたり、隠されたり、陰口を叩かれたり。私が知っ

ているいじめの話ではもっと身体的にも精神的にも追いつめられる事をされた人もいるはずです。そんな人たちから見れば私が受けた事なんてなんともない

のかもしれません。
実際にいじめられている当時、カウンセラーの方からにも同じような事を言われてしまいました。確かに、その通りだと思いました。ですがその時私は腑に

落ちずにもやもやとしたものが胸に残りました。そのもやもやの正体がわかったのは学校も卒業して暫く経った時でした。カウンセラーの方はきっと私を元

気づけよ
う、勇気を持って貰おうとああやって他の人より幸せだと言ってくれたのでしょうが、その時現在進行形にいじめられて苦しんでいる人にとってはその言葉

は更に辛さを増すものなのです。
他の人より楽だと自分に言い聞かせても、今自分が受けている行為が軽くなる訳でもなく、するといじめられている人は益々「辛い」と声には出せなくなっ

てしまいます。私たちは心のどこかで無意識に「人は人、自分は自分」と思っています。私の知らない誰かが私の知らないどこかで私より酷い事をされてい

たとしても、私自身が受けているものではないので、その気持ちを理解することはできません。また、もし私がその酷いいじめを受ける様になり、酷いいじ

めを受けている人が私の受けているいじめを受ける様になったとしても、どちらも心が軽くなったりはしないのです。
傷付けられる、という事実には変わりがなく、つまり受けている悲しみは誰かと比較出来るものではありません。私は私の世界でいじめを受けて、傷付いて

悲しみました。誰にでも言える事ですが、その事を比較すること自体が間違いだと思っています。比較して私の方が楽だと言われても、私にはそれが辛く重

いのです。その事をあのカウンセラーの方にわかって欲しかった。私を否定するのではなく、いじめという行為を否定してほしかった。そんな事を今言って

もいじめをしていた人たちと私は離れて、各々で生活を始めている事でしょう。ですがあの時に感じたもやもやはいつまでも私の中に残っていて、その事を

こうして考えてみてもあの時の辛さが戻って、どうしようもない虚無感に襲われます。

もし、今いじめを受けている人が周りに居るならば、どんなに励まそうと思っていても、その人自身を否定する事はしないであげてください。その言葉はそ

の人を更に苦しめてしまう事になってしまうかもしれません。


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