いじめゼロを目指して

いじめで知ったこと


30歳を過ぎた今、いじめを振り返って思うことがあります。なぜ私はいじめの経験を乗り越えることができたのか?
こうしていじめについて書くことすら当時は辛くてできなかったのを覚えています。ただ、わたしは小、中と様々ないじめの経験をした人間ですが、どんなきっかけで乗り越えたのかと考えたら、その転機は高校の時だったと思います。高校で芽生えた小さな自信のようなものがその経験の克服につながったのです。
当時、高校に入って私は中学校の時に男子から体型のことをさんざん言われ、それがコンプレックスになっていました。今思えば、バスに乗るのもこわかった時期があります。
「どうしてあんな体型で平気でいられるんだろう?」「足が太いね―あの子」とか、バスに乗っているたくさんの人から言われてるような気がして、出掛けるのもこわかった時期があるのです。
しかし、高校に入って友達関係も落ち着いて自分の居場所ができた時、わたしはダイエットを決意しました。そして、3カ月くらいかけて6キロほど体重を落としたんです。
すると、男の子からも声をかけられるというかちゃんとした異性として見られるようになりました。
その頃から男の子はからかったり、嫌なことを言う人ばかりだとおもっていましたが、そういった人だけじゃないということがわかってきました。そのことがまたわたしを救ってくれたように思います。
いじめる側はごく一部で他にもたくさんの人がいて、いい人も中にいる、当たり前のことですが、いじめられていると孤独になり、そのことに気がつくことができなくなってしまいます。誰も助けてくれない、救いがない時などは特にどん底まで落ちた気分になってしまうのです。
そんな私がそういった自信をもてたのはやはり、ダイエットもまた転機になったんだと思います。自分がコンプレックスを感じているものを克服することがまた、乗り越えるきっかけにつながったのです。
結局、いじめを乗り越えるのは自分自身が自信を取り戻すことが大切だと思います。わたしはいじめられるような人間なんだと自分を低く見ているところから、いじめられっ子はスタートしなければならないのです。
そこから這い上がるには環境ももちろんですが、自分で自信をつけなければならないのではないかと思います。「救い」といのは人からの救いももちろんですが、今思えば自分自身の「自信」をつけることがいじめられた体験から救い上げてくれたのではないかと感じています。
乗り越えた今だからこそいえることですが、いじめられっ子は「救い」を求めるだけでなく、「救い」を自分自身の中から見つけ出すことがいじめを乗り越える一つの手段ではないのかと思います。


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