いじめっ子と決別するには
いじめに耐えて中学3年を向かえ、高校受験シーズンがやってきました。
何とか中学2年のいじめられている一年間を学校を休むことなく耐え抜いて、クラス替えで多少緩和された雰囲気ながら不穏な空気も感じながら、高校受験
は公立高校を一校のみ、専願で受けることになりました。
当時の私の住んでいたところでは高校受験の場合、クラス担任が成績を見て大丈夫と判断した場合は受験費用などのこともあって、一校だけに絞り込んで受
けさせていたものでした。
ビックリするような好成績ということではなかったのですが、難なく受験は合格し、地域で一番近くて、隣の高校よりはレベルの高い県立A高等学校に入学
が決まりました。
しかし基本的にこの辺りの地区に住んでいる生徒は大抵が校区で県立A高校に行くことになっていたので、また同じメンバーが高校に上がってくるんだろう
と多少は覚悟していたのですが…
なぜか不思議なことに、県立A高校の校区が私の入学時には変更になって、ほんとに歩いて数分のところに住んでいたいじめっ子たちは見事に市立B高校に
行くことになっていたのです。
しかしほんとに校区が一緒なはずなのに、どうして私は県立A高校に行けたのだろうと不思議に思ったのですが、どこからの情報かは忘れてしまいましたが
たまたま私が上位10%の枠で合格したらしく、レベルが上の県立A高校に行けたようでした。
いじめっ子のほとんどすべてが市立B高校に…この時はどれほど嬉しかったことか。
これでやっとあの忌々しいいじめの状態からはきれいさっぱり脱却できると、この時までの人生で一番の苦難を乗り越えることが出来たのです。
高校に入ると全く知らない地区からの生徒が沢山来ていて、私のことを悪く言う者もほぼいませんでしたし、中学時代と比べ物にならないくらいの清々しい
毎日が待っていました。
しかし、ひとつだけ火種が残っていたことにはその時は知る由もありませんでした。
県立A高校には普通科と音楽科、商業科があったのですが、商業科には当時のいじめっ子の残党が一人だけいたのです。
その子とは小学校から同じで、小学校当時クラスが同じだったこともあり、一緒に遊んだ仲だったのですが、遠い昔かくれんぼをしていていつの間にかすべ
ての友達が勝手に帰ってしまってひとり取り残された…あの時の中の一人でした。
商業科というのは当時はなぜかツッパリ系の子達が集まっていましたが、私は普通科でしたのでさほどの意識なく日々が過ぎていったのですが…