いじめゼロを目指して

哲学的なこと

私たちの子供の頃には、小学校の授業の中に「道徳」と言う名前の授業がありました。
そ の授業では何をしていたかというと、確か道徳的な物語を読んで皆でどんな気持ちなのかなど話し合って、理解するようなことだったり、部落の問題や差別問 題、今では全くと言っていいほど偏見がない韓国部落(今ではそういった言い方はしないと思いますが)についての話など、小学生ながら今考えると必要性の高 いことを学んだのではと感じています。

私たちの校区にもかつては韓国部落と言われた所が存在していましたので、それについて偏見を持たないように努めたものでした。

こういった事は最近の学校では行われていないように聞いていますが、このような教育を受 けている 世代でさえ平気でいじめをしていたわけですから、今のお子さんにはいじめてはいけないという意味がよく理解されてないのかもしれません。
「いじめをしてはいけない」というよりは、先に相手の立場からモノを考えるように習慣づいていれば、「いじめたい」という気持ちにはならないのではないでしょうか。
怒られるから「いじめてはいけない」、罰せられるから、法に反しているから「いじめてはいけない」、ではどうしようもない気がします。
根本的な哲学的思想が日本人には欠けていますので、そういった種を小さいうちから植えるようにしないと、言ってもわからない気質になってからでは遅いのでは…。
具体的な哲学的思想で言うなら、命とはどういうものなのか、生まれてくるのはあたりまえではないこと、どんな形で生まれてきてもみんな素晴らしい命であり、意味があって生まれてきていることなど…
私の子供は心臓の病気があったり、今でも自閉症で発達遅滞ですが、これにも意味があって、私と子供で乗り越えるべき道なんですね。
そして、大人に対してもこういった哲学的な考え方が欠けているのと言えますので、大人からしっかりとした思想を培う事が大切かと思います。

「いじめる」という心は、その延長に争い、戦争につながっているもの私は考えます。

こういった考え方自体が世の中から早くなくなって欲しいと思いますね。
わざわざいじめたりしなくても、世の中には昨今では天変地異など自分が頑張って暮らしていても思わぬ大変なことが起こっています。

思いやりの心、助け合う心、感謝の気持ち、そして自分は生かされているのだという気持ちがあれば、少しは世の中が変わるのではと思っています。


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