乗り越えられない試練はこない
世の中にはさまざまな考え方の方がいらっしゃいますので、とても頑張っている人がいてもねたんでみたり、悪口をいうようなひともいたりします。
しかし基本的な考え方の中に、「人にしたことは自分に返って来る」ということをすえておけば、おのずと悪いことをしようとする者は減っていくのではないでしょうか。
そうはいってもなんらか人と異なっている、ねたまれるなどによって、「いじめ」の対象になってしまうこともあります。
一生懸命まっすぐに生きているにもかかわらず、です。
それだけ真っ直ぐに生きているのにいじめられてしまったら、どうして自分が?頑張っているのに…、などとふさぎこんでしまうものです。
しかし私の場合、母親に乗り越えられない試練は降りかかってこないもので、これを乗り越えて成長しなさいよ、ということなんだよ、と教えられていましたので、何とか今まで生きてこれたのかなと感じています。
いうなればこういった目に遭わなくてすむ人よりも、私が試練を受けることによってより強くたくましく成長していけるというわけです。
そしてそういった辛い思いをさせられても、自分がなんらか過去に悪い行いをしてきたことを、あの子達が消してくれてるんだよ、って考えなさい、とも…。
確かにこう考えれば、今までどおり間違いのない生き方で堂々としていればいい、とまた気持ちを切り替えていけるのです。
いじめられても、あの子が悪い、先生が悪い…とだけ言ってみたところで、もし表面的に謝ってきたとしても解決したとは言えません。
本当はこういったいじめをする人たちに、相手の気持ちのことや、そういった行為は自分にいつか返って来るんだよと教えてあげられるといいのですが…素直に聞くかはわかりませんけれどね…。
人生の中にはほんとに辛いことや大きな壁が沢山立ちふさがるものだと、それなりの年数を生きてきましたので感じるようになりましたが、これもいじめを乗り越えて精神的にも成長しながらこれたからだと思います。
そしていじめられたからこそ、いじめられる辛さもよく分かっているし、そういった人の気持ちに寄り添って同苦できるんだな…とも感じています。
ですから私にとっては、「いじめ」られたことも血となり肉となっているわけで、もしいじめられていなかったら、もっと陳腐で小さい人間だったのではないかと思います。
そう考えたらいじめた子たちにもある意味、感謝しなければなりませんよね。