いじめゼロを目指して

子供の遊びかた

先ほど子供の遊びについて少し触れましたが、モノが今よりあふれてはいない時代に私は育ちましたので、遊びと言えば、その辺にあるものを使ったり、とてもシンプルでありながら、頭を使ったり子供同士で体を使うような遊びがほとんどでした。


しかし今の遊びは電子機器、テレビゲーム、精巧にできあがったおもちゃ類が多く、豊かで素晴らしいのでしょうが…これでいいのか、人間形成は大丈夫かと、親になった今常々危惧しています。

しかしこういったおもちゃを作っているのは今の(大人)、私たちの世代の人間です。
日本は資本主義ですから、モノが売れて、自分が潤えばそれでいいのだと考えているのでしょうが、果たして本当にそれでいいのか。
昔の遊びと言うものは、どういったものかざっくり言うなら、頭を使い、想像力を働かせ、相手との駆け引きやコミュニケーションを必要とする遊びが多かったのですが、今の遊びは既に出来上がった作りのものをぽんと渡されて、一通りの遊びしかできないモノが多いように感じます。
しかしおもちゃを選ぶほうも自由ですから、こういったモノで遊ばせるのか、あるいはシンプルなカプラのような積み木を与えて、創造性を豊かに育てるのか…これらも子供の成長になんらか影響は出るかと思います。

私の子供の場合は発達遅滞がありますので悪いようないいようなですが、むやみに電子機器を欲しがったりはしませんので、まったく電子的なおもちゃには今は触れさせていませんが、うちが貧乏なこともあり、最初まったくおもちゃを買わなければ、勝手に昔のビデオテープが沢山転がっているのを積み木に見立て、階段を作ったり、エレベーターを模作したりするようになりました。

あるテレビで芸能人のおうち拝見というのを見たのですが、丁度お子さんが小さいので子供部屋をあてがっており、さらに最新のおもちゃで溢れ返っていたのですが、それを見た専門家が、このお部屋で育つお子さんはかわいそうとばっさり切り捨てていました。

何故かと言うと想像力がまったく育たない異空間のような子供部屋で、欲しいものは何でも手に入るといった、筋道のまったく通らない、機械的な精神が育つ可能性が高くなるからだそうです。

こういったことを考えると、子供が今ではだたでさえ少ないのですから、育てる側もどうすれば人間形成やコミュニケーション能力を育成できるか考えながら接する、モノを与える必要があるのではないでしょうか。


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