いじめゼロを目指して

いじめを受けた環境

私は地方都市の会社員と市職員の保母の間に生まれた三人姉弟の長女です。両親は共働きでいつも忙しく、一歳から保育園に預けられました。時代柄、共働きの家庭は珍しく、母は市の育休制度で一年休んだ第一号だったそうです。
 父は甘やかされた末っ子で家事育児は女がやるものという考えに凝り固まっていました。また、母の方が給料もよいことも相まって、年がら年中夫婦で喧嘩を繰り返していました。私を保育園に預ける他に、弟妹は別の家に預けられていましたから、姉弟は常にバラバラでした。
 保育園で兄弟のように友達と遊べるかと言うとそんなことはありませんでした。私は保育園だけで、三回転園しています。母の転勤についていったのです。小学生中学生でも転校はいじめのきっかけになると言いますが、保育園では尚更だと思います。私は三回目に転園した保育園でバイキン扱いされたり大声で悪口を言われたりするようになりました。女子の友達にも混ぜて貰えませんでした。その前の保育園でも仲の良い友達など出来ず、私はこの時期に既に対人関係で挫折していたと思います。幼児の世界に対人関係など大げさな、と思われるかもしれませんが、そういうことはあるのです。
 また、いじめのきっかけは転園だけではなく、共働きで忙しい母の手が回らず私の髪や服装が小汚らしかった事や、その頃から私は問題行動を繰り返していた事なども密接に絡まっていると思います。
 これは本当に随分と後になってはっきりした事ですが、私は軽度の中でも軽度の発達障害で、子供の頃は衝動的な行動や癇癪を全く押さえられない性格でした。その上両親は喧嘩ばかりしていて弟妹との関係も薄く、面倒もよく見て貰っていなかったため、精神的にとても不安定で、保育園の仲間に暴言を吐いたりした事もあったと思います。また、保母から見ても可愛くない子供だったのではないかと思います。
 そして時代的にも「いじめ」という言葉はなく、私がいじめられたりバイキン扱いされても、周囲の大人はそれほど深刻に受け止めませんでした。それに、成長してから私がいじめの事を話す時、私は「保育園から」と言いますが、母は「小学二年頃から」と言って譲りません。母から見て、私は保育園時代は何の問題もない幸せな子供だったのです。また母は、自分は共働きとして十分に家事育児をやっていたと思っているようです。
 私にとっては近所のどの家も羨ましい状態でした。家はいつも「豚小屋のようだ!」と母が怒鳴り散らすような状態、食事は出来合いの総菜、父と母は毎日怒鳴り合っている、母は仕事や父との齟齬のストレスを私にぶつけてくる、何故家には、ご近所のような家にいて世話をしてくれる優しいお母さんがいないのだろう、と、いつも思っていました。小学生の時に我慢出来ずに母に仕事をやめてくれと言った事もあります。怒鳴られて終わりでした。


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