いじめゼロを目指して

小学校の頃のいじめ

私の発達障害はアスペルガーではなくADHD、注意欠損障害の方です。ですが、申請しても障害者手帳も貰えないだろうと医師から言われています。本当に、軽度。ですがやはり障害はあって、私は衝動的な行動を取り、癇癪持ちで、忘れ物が多く、片付けが下手で、不注意な女の子でした。同時に保育園の頃から大の本好きで、本さえあれば何時間でも読みふけっている集中力がありました。恐らく、発達障害の過集中です。
 私が発達障害である事が分かったのは三十九歳の時ですから、子供の頃は当然周囲はそうと分からず、私は問題児という事になりました。それが大体小学二年生頃です。
 色々とありまいたが、一番注意されたのが「怒鳴る」行動と、「暴言」です。しかし私は意味が分かりませんでした。大声を張り上げて怒鳴ったり、「バカ」とか色々悪口を言うのは母のいつもの行動なのです。母は大人ですし保母ですから、家庭外では普通の女性でいるのでしょう。ですが、私は母のそういう面を見ていないのです。何を注意されているのかよく分かりませんから、私は気に障るとすぐ怒鳴り、悪口を際限なく言う事もでした。当然の事友達など出来ず、喧嘩が絶えませんでした。毎日終わりの会でつるし上げを受けました。それは難癖というレベルのものも多く、先生が何度か仲裁に入って周囲を懲らしめようとした事もありました。私にとってはそれが普通の状態でした。
 また、共働きでしたので、学童保育所に四年生まで預けられました。そこで保母に目を着けられました。上記のような行動を取っていれば、目を着けられるのも当然かと思いますがとにかく毎日私にとっては訳の分からない事で怒られました。「わがままだ」「利己主義だ」「反省しない」etc……。中には納得出来る事もあったのですが、今でも不思議な事で随分と怒られたと思います。母が私に同じデザインの服を二着買ってきたので、一日ごとに取り替えて着ていったのですが、「同じ服を着て来た」と言って怒られました。説明しても怒られました。学童保育所についてから担任の先生はどこにいる? と聞かれたので「多分職員室だと思います」と答えたら「お前の言う事には責任がない!」と怒られました。「多分〜〜思います」という言い方が悪かったそうです。一番訳が分からなかったのが、私は毎日本を読んでいたのですが、「本を読んでいる」という理由で何時間も部屋の隅に立たされました。私が本ばかり読んで、友達と遊ばないのが理由なそうですが、私は既にいじめられっこで孤立していたし、本を読むのが最大の楽しみなのです。誰にも迷惑をかけていないのに何故こんなことで? また訳の分からない説教もされました。その保母の友達に、やはり本ばかり読んで誰とも関わらない人がいて、子供の頃からずっと一人で、大人になって働いても友達も出来ず、結婚もしないで先生とたまに会うだけで一人で生きているのだ、と。それの何が悪いのか分かりません。誰にも迷惑をかけずに一人で生きていけるのなら十分ではないでしょうか。
 その学童の先生は私に友達が出来ない事を心配していたのでしょうが、逆効果です。いつも怒られている私を面白がって周囲は益々バカにして、いじめは酷くなりました。本を読んでいるだけで指を指されて笑われ、からかわれるようになったのです。以前は大人しく読書をしている間は放って置いて貰えたのに。そしてその頃、私は既に友達などに興味はなく、本や漫画、アニメ以外に関心を向けていませんでした。いじめられているのは既に普通の状態だったし、殴られたり蹴られたりという事はなかったので一人で沢山本が読めればそれでよかったのです。先生が言った一人で生きている友達の話は、そういうふうでもいいんだと逆にほっとしたほどの話でした。
 私が小学校高学年になっていじめ自殺事件などが大きく報道されるようになり、その頃の先生が一度学級会で私の問題を取り上げてくれました。私はそれで解決出来ると思っていなかったので投げやりでした。そしていじめ自殺事件が報道されたので「死ね」「自殺しろ」とすれ違いざまに言われるようになりました。


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