中学校の頃のいじめ
中学に入り、友達が出来ました。小学校から中学校にメンバーが変わらず持ち上がりでしたので、驚くべき事でした。ただ、その子達も私のようにバイキン扱いされ教室の仲間に入れて貰えず、いじめられていました。その子達も私のように本を読むようになりました。その子達と本を貸し借りしたり、交換日記をつけた事は、とても楽しい思い出です。
私はこの頃には衝動性や癇癪、怒鳴る癖などは落ち着いてなくなっていましたが、やはり忘れ物が多く、不注意な事と自分を表現するのが下手な事は続いていました。
女子の方はグループが固定されていて仲間に入れて貰えませんでしたが、主に私をバイキン扱いして悪口を言うのは男子の方でした。「バカ」「ブス」「死ね」「学校来るな」などです。私に対するいじめは大体これぐらいで、物を隠したり殴ったり、机に落書きしたりという事はなかったです。
ですがある日、弁当を食べていたら腕を後ろから蹴られました。やったのはクラスの軽度の知的障害児でした。私は箸から卵焼きを落としてしまいました。障害児をけしかけた男子は、私に卵焼きを拾って掃除をしろと言いました。私はお前らのせいだから、お前らがやれと言って頑として譲りませんでした。男子達は怒りました。あまりにしつこいので職員室に行って言いつけました。担任も誰も何もしませんでした。卵焼きはクラスの無関係の女子が片づけました。
それから男子は障害児をけしかけて私と喧嘩の見せ物をさせようとするようになりました。私は無視し、避けていました。ですが障害児があまりにしつこかった事があり、ある日キレて殴り倒した後、転んでも蹴りを入れ続けました。私は小学生の頃から空手をやっていたのです。男子はやくざのようだと大はしゃぎでしたが、ショックを受けた障害児は遺書を書いて二階から飛び降りました。勿論それぐらいで自殺出来る訳もないのですが、男子達は激怒し、お前のせいだ謝れと言いました。私はお前達のせいだと言って譲りませんでした。それから喧嘩の見せ物をさせようとするいじめはなくなりましたが、バイキン扱いや悪口は卒業するまでずっと続きました。
私はこうしたいじめの事にはうんざりしていましたから、高校は学区外を選びました。私は成績はいい方でしたので、担任は学区内の進学校に行くように勧めてきました。ですが私は、もうこうした人間関係に疲れていたし、いじめに対して何もしなかった担任に強い不信感を持っていました。中学の頃のいじめの思い出といえば、この三年の頃に興味深い事がありましたがそれは後述します。