いじめゼロを目指して

いじめていい理由はない

ここまで書いて、私がいじめられる原因はとても明確に出来たと思います。
 その上で書きますが、どんな理由があってもいじめていいという事にはならないという事です。
 私も自分に限らず色々ないじめを色々な場面で見てきましたが、いじめる理由は本当に何だってこじつけられます。誰もが被害者になりえ、加害者になりうるのが現代の状況です。いじめられる方に問題がある、いじめられても仕方ないという人は、自分が様々な理由で率先していじめられて下さい。
 いじめられる方にも問題があるとして、その問題は、いじめで解決出来るものなのでしょうか。
 例えば、私が怒鳴る事や暴言を吐く事は、母の真似でした。その事を周囲の大人が気がついて、母に注意することは出来なかったのでしょうか。また、私の衝動性や癇癪を保健所に連絡する事の出来る大人はいなかったのでしょうか。そこで、私が発達障害であることが分かったかもしれないのに。
 私が怒鳴るのをやめたり、癇癪を押さえたり出来るようになったのは、いじめられたからではなくて、本から学んだ知識です。沢山本を読んでいるうちに、癇癪を起こすことはみっともないという事が分かってきて、自分で治す事が出来ました。
 片付けが出来ない、忘れ物が多い、不注意である、そういうことも、成長するに従って本を読みながら少しずつ自分で調整して覚えてきました。いじめられたから治った事はありません。
 いじめられる方にも問題や原因はあるとして、その問題といじめをくっつけても何にもなりません。問題は問題として、いじめはいじめとして分離させるのが正解です。またいじめる方も様々な問題を抱えていたとして、だから同情すべきだという事もありえないと思います。
 確かにいじめの加害者は家庭や自身に様々な問題を抱えた人が多いと思います。ですがやはりその問題は問題として、いじめと切り離すべきです。例えば家に人がいないから淋しくていじめをやる、というのは理由になりません。
 悪事を働いたのはあくまで悪事を働いた個人の問題であり、本人が責任を持ってけじめをつけるしかありません。そうでなければ、人間が人間である事の意味がありません。犬が人を噛むという事は犬を懲らしめる事が出来ても犬に責任はありません。自分の犯した悪に責任を取れるのは人間だけです。そしてやはりいじめはれっきとした悪であり、やってはいけないことなのです。今はネットなどを利用し軽い気持ちでゲーム感覚で楽しくいじめをするようになってきていますが、それはやはり悪で、人として理性のある行動とは言えません。


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