いじめゼロを目指して

全員から無視

私は小学校5年生の1学期の時、原因が分からないのですがそれまで友人だと思っていた人々から無視をされるようになりました。
普通に遊びに行っていた友人宅へ行っても、自分だけいないものとして扱われていました。
ゲーム機で遊ぶ順番も自分の番が最後まで回ってきませんでしたし、お菓子も自分の分は用意されませんでした。
話しかけても無視をされましたし、同じ空間にいるのですがまるで自分は透明人間か幽霊かといった扱いを受けました。
次第に独ぼっちでいる時間が長くなり、誰とも仲良く話そうという意欲が削がれていきました。

幸いにして私には、他人に流されない友人が一人いました。
全員に無視され、落ち込んでいる私に唯一その友人は話をしてくれました。
私の折れそうな心は、その友人によって保たれたと言っても過言ではありません。
いじめは学期が変わるあたりからなくなりました。
それまで無視をしていた方々も次第に話をしてくれるようになりましたが、私はその友人程、信頼を置ける人物はいなくなりました。
どうしても他の友人との間には一線引き、ちょっと離れたところからでしか友人付き合いをすることが出来なくなってしまいました。

いじめをおこなう為にあれこれ考えるよりも、別のもっと面白いことについて考える方が人生の楽しさは増すと、私は思います。
いじめに使っている神経や体力をもっと自分のためになるものに向ければ、それだけ人間力が高まるのではないでしょうか。

現在のいじめ問題は、過去のような主導者がいていじめをおこなうというものから、誰が主導者なのかわからない異質なものに変化したと思います。
誰が主導者なのかを探すよりも、いじめをおこなわないと全員へ指導した方が効果はあるのではないでしょうか。

いじめを受けている人は頑張って1人で対処しようとすることはありません。
とても信頼出来る人を1人でもいいので見つけましょう。
それが親でも教師でも友人でも誰でもいいのです。
1人で悩まないで下さい、1人で頑張らないでほしいのです。
苦しいことは1人で悩んでいたら絶対に解決しないのですから、苦しいことを信頼できる人に告げてみましょう。
そうすれば、いじめ解決の糸口だって見えてきます。
いじめている人は考えて下さい。
自分がどれくらい酷いいじめをおこなっているのかを、一度立ち止まって考えてみてほしいのです。
皆がやっているから、自分もやっていいというのはおかしな理論です。
皆と一緒にやっていても、いじめを受けた側は個人をしっかりと覚えています。
誰も幸せになりませんので、すぐにいじめをやめて下さい。


>>次ページ   脇毛でいじめられる |≪   前へ   1 2 3 4 5  次へ   ≫|